CorottyBlog

フレンチブルドッグとの生活や、日々思うこと、感じたことなどを更新します。

風船のような脳(心)と体

40歳にさしかかり、愛犬と夫の3人で暮らしています。

私はいままで、仕事が大好きで仕事につっ走ってきた人生でした。働いてお金を得ることしか頭になく、趣味といえば仕事に関連すること、もしくは掛け持ちのアルバイトをしてでもお金を得たいと思っていました。職場での人間関係の悪化が原因で仕事を転々とすることが多くなり、独身のときはとにかく働かなくてはと焦っていました。

社会の仕組みなどもよく理解せず、ノリだけで生きてきたかもしれません。

自分と向き合うきっかけになったのが、直近の職場で発症した「うつ病」がきっかでした。とにかく今は休むことを最優先にして過ごしています。

 

コロナや災害の不安、先の見えない人生の不安、経済・政治情勢の不安、雇用の不安、生活の不安、健康の不安、家族の不安などなど。私たちは常に「不安」を抱えながらも、「不安」を「不安である」と認識できないまま過ごしています。

今回の記事ではうつ病の原因でもある不安について考えたいと思います。

 

不安ってなんだろう

 人は何かしら不安を持っています。心配に思ったり気がかりに感じたことは誰でもあるかもしれません。「不安」に支配されてしまうとすべてが怖く恐ろしくなり、何をやってもうまくいかない、何を選択してもずれている、下手をすると無意識に行った行動言動で他人を怒らせてしまうこともあります。

 ふだんなら気にも留めないことでも、何かをきっかけにクヨクヨ考えてしまったり、頭から離れなくなってしまい、知らず知らずの間に自信を失っていく。

明らかに不安である原因がわかっていればいいのですが、知らずに積み重なっていく澱のような不安。これが一番厄介で知らない間に自分を蝕んでいるものなのです。

エネルギーが枯れてしまった

 いわゆる活力ともいいましょう。普段の生活の中の様々な場面で、私たちはその都度行動を起こすたびに自分のスイッチを切り替えてエネルギーを使っています。車のキーを回してエンジンをかけるようなイメージです。

 「仕事に行く」というタスクの中には、起きる→身支度を整える→食事をとる→玄関を出る→駅に向かう→電車に乗る→職場まで歩く→挨拶をする→仕事をする などさまざまな切り替えの場面があります。活力があるときはこのスイッチは問題なく動作し、すんなり進行します。それでも「仕事にいく」というエネルギーがどれだけ大きいものか。活動時間の半分以上を占めているもの、膨大なエネルギーです。

 加えてその行動の要素の中に自分なりに目標や目的があるとさらにいい意味での付加がかかります。「いい日にしたいな」「仲間とうまく過ごしたい」「〇〇を終わらせよう」「進行中の案件が上手くいくように調整しよう」そんな一日のビジョンを抱いて取り掛かります。

 車のエンジンをかけるときにも膨大なエネルギーがかかるのと同じように、私たちが行動を起こすときもやはり大きなエネルギー、着火装置があるのです。車も走り続ければガソリンが減り馬力が落ちます。それでもガソリンタンクのメモリがギリギリになってもなんだかんだで走ることができます。そのギリギリのガソリンが尽きてしまったら・・・キーを回しても、エンジンをかけようとしても、エンジンはかかりません。

 車の部品は故障しているわけでもないのにガソリンが尽きてしまうとエンジンがかからなくなる。ごくごく当たり前の理屈ですが、私たちの体や心も同じことが言えるのです。

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きっかけがあるものです

 職場の人間関係というのは、普段生活をしている中ではなかなか出会うことがない家族や友人以外のコミュニティであり、独特の人間模様です。お客様とお店の人間のようなわかりやすい需要供給の関係ではありません。接客業に関してはお客様という要素も加わりますが、会社の中の人間関係は家族よりも長い時間を過ごす赤の他人です。

 ウマが合う人もいれば合わない人もいます。気持ちの良い距離感で仕事がスムーズにできる人、一定の距離感を保ちたいと思っていてもズカズカ入りこんでくる訴求力の強い人間もいます。仕事に目的をもって取り組む人、やりがいを感じて頑張っている人、協力的な人、お金のためだけに時間を過ごしている人、感情のコントロールができず当たり散らす人、公私混同している人、肩書が欲しくている人、など様々です。

 そんな一日の大半を過ごす場所なので、良い日もあれば悪い日もある。そんなのの繰り返しです。ただ、たまたま発生した悪い日に起こった記憶に引っ掛かりずっと頭から離れなくなってしまった、それも解決できずに時間が経過してしまものは積み重なっていきます。人間は眠れば忘れるようになっているのに忘れられなくなってきた。そのようなものがHPを1Pずつ削って行きついに0Pになってしまったときにうつ病のような状態になってしまうのではないかと思うのです。

最後の一押しで完全にしぼむ風船

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 誰でもちょっとしたうつ状態というのは経験していると思います。ものすごい失敗をしてしまった、やらかしてしまった、恥ずかしい思いをしたなど。でも、大抵は気分転換や睡眠や休むことでゴム風船のように空気を入れれば柔軟に膨らみを取り戻し弾力が戻ります。

 想像してみてください。大きな風船を膨らませるとき、一番最初に空気を入れるときは固いゴムを膨らませるのにものすごくたくさんの空気が必要ですよね。ある程度の空気が入ってしまえば、そのあとは膨らませるのは案外順調にできるものです。

 ですが、完全にしぼんでしまった風船は弾力を取り戻すことがなかなかできません。空気が入りきっていない状態ですこしの力で風船を押してしまったら空気がすべてでてしまい、また膨らませるには十分な量の空気を最初に入れなくてはいけないのです。

 その残り僅かな空気の入った風船を押しつぶして空気を押し出して完全にしぼみます。また、逆につぶされまいと膨らみすぎた風船は、空気がいっぱいになったことに安心ができずそのまま膨らみすぎて破裂してしまうかもしれません。

自分のパターンを考察してみる

 うつ病になることは自分のウィークポイント(弱さ)を知るきっかけにもなりました。私は他人から「親しみやすい」う「なじむのが早い」「社交的」に見えるらしく、異動先でも「もうすっかり馴染んでますね」「前からいるみたいです」などと言われます。そう見えるほど私は周囲に気を使う人間だったのです。

 今回休職のきっかけになった職場は、部下の鬱憤の堆積がおおきく、感情が暴走してしまうスタッフもおり、常々「責任者はなにもしてくれない」と責められ続けました。(夫はなにもしてくれない、と嘆く妻の存在とも重なりますね(^^;)なんだかその人の夫になったような気分です)作業フローの見直しをしたときは、近くを通り過ぎるたびに「仕事が大変」「大変だね。やりたくないね」スタッフ同士でわざと会話をして私の耳に入るような嫌味を言われることも毎日でした。

 配属当時からその職場の悪い雰囲気の原因が見えていたのですが、どうにもかなり悪い状況になっており崩壊ギリギリだなと感じていました。やる気のない同僚たち、部下の業務には無関心。自分の仕事だけをするが仕事を教えないから部下が育たない。忙しそうにしている同僚は実際忙しくなくて、よくわからないけどお菓子ばっかり食べている。お菓子を配ることが仕事みたいになっていた。

 一見自由度が高く、皆それぞれが仕事をしているように見えるのだけれど実は若手が育たない、愚痴や悪口が多く雰囲気が悪かったのです。

 家庭の不満を持ち込みストレス発散に仕事をしているような人も多かった。家庭のストレスを職場に持ち込まれてしまうと、仕事上解決するべきことを解決したところで次々と不満が湧き上がってくる。この湧き上がってくる不満は仕事でも重箱の隅をつつくような状態になり、些細なことで他人を責めるが、じつはこの攻撃的な原因は本人の私生活の問題なので仕事でどんなに問題を解決しようとしても解決させない。不満ばかりを押し付けてくる。

 また、現場で解決しておかないといけなかった課題を解決せずにきた前任上司の4年間分の澱もあり、そのストレスを増幅させる要因となり管理職への当たりを強くしていったのではないかと感じています。

 このすべてが、自分の責任感や真面目さ、職層の役割が、解決・改善を繰り返したところで安定的に継続することはなく、不安・不満を常にはこんでくる部下のストレス・攻撃性の凸凹と、それをこなす自分の力量がかみ合ってしまい、次第に自分を追い詰めてしまったのてしまったのだなあと反省しました。

不規則な生活サイクルも相まって

 開館時間が長くなると必然的にシフト制になります。朝早いときは7時前に家を出て、夜はおそくなるときは22時を過ぎる。通勤に時間もかかりましたので食事のタイミングなどもバラバラ。気を付けて生活をしていたつもりでもこの状況でストレスと疲労が重なったことも原因だと考えます。心身のバランスが崩れてしまう。

 結局のところ、通勤場所や勤務形態のことが気にならなくなるくらい仕事に夢中になって突っ走っていた節も思い当たるのです。家庭と仕事のバランスもとれていなかったなあと反省することも多く、一番は自分を大切にできていなかったこと、自分を大切にするということが分からなかったのでしょうね。

以前の自分に戻ることではなく前に進む

 うつ病の状態(神経症、不安感、疲労感、不眠、倦怠感、絶望感、起きれないなど)は確かに辛いです。ただ、うつ病は薬で治すものではなく休養を取りながら自分と向き合う時間なのだと感じています。悩みを解決するときに問題と向き合うのって大変ですけれどそれが自分となるとますます大変で、逃げたくなることもたくさんあります。

 ですが、以前の自分に戻ってもまた同じことで躓いてしまう。私はもうそんなのやだな、と心底思いました。なぜ他人のことで嫌な思いをして受け止めてしまうんだろう。関わりたくないのに結局相手に支配されてしまう。そんな自分はもうやだなと思います。どこの職場に行ってもいるんです。こうゆう人たちは。ただ、たまたまその数が多くて運が悪かったこともありますが、それでもここまで病んでしまう前に自分から離れる・切り捨てる、必要であれば、戦うことができる自分になりたい。自分の決断の自分の責任で選択できるように。

 今回は体に支障がでてしまうくらいまで苦労をしましたが、それでも自分が受けるべき治療・休職・受けられる手当、人事への訴えを含めてやれることをやれたという自信が付きました。確かに、重たいうつ状況は本当に辛くて追い詰められましたが、最近は冷静にものごとを考えられるようになりました。

 何がいけなかったのか、状況はどうだったのか。突っ走ってきた人生のなかで、いったん止まって休みなさい、それが今なのだと思います。

今後の課題

健全な身心を保つために、まずは体から。うつ病ってどうしてもエネルギーを脳が消費してしまいます。それを体を動かす方にエネルギーを注ぎ、体を作ること。

食べる・寝る・体を動かす

この3つを数か月かけて作っていきたいです。悩まない体づくりを頑張ります!