CorottyBlog

フレンチブルドッグとの生活や、日々思うこと、感じたことなどを更新します。

うつ病から寛解状態へのきざし ⑧気持ちの変化

 こんにちは、corottyです。八月終わりの大雨から気温がぐっと下がり肌寒いくらい。

エアコンをつける必要もなく、タオルケットよりも掛布団が恋しくなり箪笥から引っ張り出してきました。ぬくぬくして気持ちが良いです。関東はしばらく雨が続くようですが暑さはもどるのでしょうか。

 9月1日は一粒万倍日だったそう。いつのまにか日付も9月にかわり、パッと思い浮かんだことがありました。

気持ちの変化が訪れた(驚き)

 散々、うじうじぐじぐじぐじ考えて悩んで、されたことを思い出しフラッシュバックで悔しさと苦しさと辛さと憎たらしさに悶々としていましたが、先日の受診で先生に言われた通り「そのうちその気持ちも変化していきますよ」が案外早く訪れました。

組織崩壊していたのだ

 組織崩壊していた、組織崩壊している。頭ではわかっていたが、「なんで」「どうして」のほうに意識が向いてしまい頭ではわかってしても・・・なんというか「文字」として認識はしていても納得できていなかったのだと思います。

ぶっちゃけ組織崩壊していたんですよね。そう傾向は分かるほどでした。一見、良好に見えていたことでも違和感を感じる部分は多くあった。一番顕著であったのが「お友達組織崩壊」とでも名付けようか。

公私混同が強い「お友達」組織

人間関係において適度な距離を保つことができる人はどれくらいいるだろうか。

そもそもの大前提として、職場は「仕事をする場所」であって学校や幼稚園とは違いお友達を作る場所ではない。また、ママ友やサークル、PTAの集まりとも違う。

 その職場の労働条件の中で、職場の付き合いで友人に発展できる関係性というのはお互いに大人で自立心があることが大前提だと思っている。高校時代に友達とコンビニのアルバイトをしたことがあるが、友人と一緒に仕事をして、彼女が自己都合で出勤をドタキャンしたり、早退してしまったり、そこの組織の中にあるルールや秩序が破られていることを目の当たりにしたときにどう思ったか。私は友人であっても「困った人だ」「迷惑な人だ」と単純に感じた。そのアルバイトを紹介したのは私だったのだが自分の自分のメンツもつぶれたと感じることがあった。当時、高校生ながらも友人と同じ仕事で働くのは無理だなと悟った経験。漫画やドラマみたいに友達同士で同じ場所で働くというのは非現実的だなあと感じる。

職場の人間関係の距離感

 仕事の人間関係では互いに気持ちよく仕事ができるためには距離感が必要だ。楽しく仕事をすることとお私語・私情をからめて仕事をするのとでは違う。職場の仲間がもし友人として発展していくとすると、その仕事の目的が一致しており同じ目標を達成する仲間、そして個人的な付き合いで友人に発展していくのが理想だな、というのは何となく想像ができる。実際は、ただ愚痴を言いあったり、私生活の不満をお互いに吐き出して互いをゴミ箱扱いしていることのほうがほとんどじゃないかと思う。

 ※少なくとも、自分が見てきた女性間の人間関係はそんなのばかりだった。

職場での立ち位置を決めて仕事をしてきた自分であっても、極まれに私生活でも付き合えるような友人ができた。しかしながら、それは退職後しばらくたってからのことだった。

意気込みとやる気と空回りと不安と

うつ病を克服したい、と思ってから数か月。少しずつであるが進歩していることがある。私は本当に家事や自炊が苦手で、とにかく片づけのこと、ゴミの後始末のことを考えるといかにシンプルな調理方法でバランスが良く、効率的に調理・片づけ・保存ができるか、応用が利くかなどを考えてしまう。

最近では、嫌で嫌で仕方がなかった片づけなども一連の流れの一つだと思い処理することができるようになってきた。

 掃除洗濯、とにかく苦手です。掃除が大掛かりにならないように小まめに片づけるように工夫したりもしているが、家族がいると思い通りに行かないこともしばしば。

自分ひとりだけならシンプルな導線で思い通りにできるのになあ、とかいろいろ考えてしまう。こんなモヤモヤ考えてしまって行動できなくなってしまう、不安を考えてしまうなど、不安癖が抜けずに困ったものだ。

やるぞー!の気合も、入りすぎてしまうと予定がくるったときの困惑、パニック。まだまだだなあ、と落ち込んでしまう。

感情をごまかさない訓練

自分に芽生えるいやな気持に蓋をしてしまう。言いたいことが言えない。私が発言するときはいろいろ考えてものすごく勇気をだしてお願いしたり頼んだりしているのだが、相手にされなかったり思い通りにいかなかったりする。

頼ってほしいと言われても結局、そのようにうまく頼めなかったり、お願いができなかったときのモヤモヤ。

毎日のことがだから、大きいことを頼まなくてもこの小さなことを協力してくれるだけですごく気持ちが楽になるの、行動がスムーズになるのに、一日が気持ちよくなるのに。もう絶望感がすごい(笑)

こうゆうのもかみしめないといけないんだなってなるんですよね。しかし、これなら自分ひとりのほうがよっぽど楽なんじゃないかと思ってしまう。

家族でも他人でも、誰かと一緒に生活する、誰かと一緒の時間を過ごすというのはこの期待と絶望の間を乗り越えて折り合いをつけていくことなのかもしれません。

こんな訓練、働きながらなんて絶対無理だから、今のうちにイイ感じに克服していきたいですね。