CorottyBlog

フレンチブルドッグとの生活や、日々思うこと、感じたことなどを更新します。

復職にむけての準備

大分ご無沙汰なになりました^^;

どうもcorottyです。復職に向けての調整を行い今月、就業可否証明書を書いてもらう

手筈ができました。この数か月の経過を残してみます。

傷病手当受給期間と失業保険・職探しの準備

傷病手当期間は最大18カ月。私は今回思い切って「休む」ということを決め療養に充てました。とにかく休む。結局、勤めていた先を退職し休むことに集中しました。

会社から離れたことで悩みの原因とも物理的に距離を置くことができ、悩みの種だった人たちとももう会う機会はありません。時々おこるフラッシュバックに苦悩することもありましたが次第に自分が治ることを意識し、少しずつ「過去の出来事」として消化。

傷病手当期間が残り4か月となったころに・・・

残りの期間がどのくらいなのか、その間にどんなことができるかなどを少しずつ考えました。

①体力作り

②生活習慣を整える

精神疾患や心の勉強

④他人と交流してみる

こんなことを医師に伝え、診察のたびに経過を聞かれ、自分の行動などを振り返りながら報告するような流れでした。

処方されていた薬ですが、当初よりやはり成分が強く1度飲むと3日くらいは眠り病のようになってしまうため相談しました。なのでほとんど飲んでいませんでした。

処方も療養のうちですので、飲む飲まないにかかわらず処方はもらっていましたが、「半分にして飲む方法がある」と言われ、自動的に処方量も減らされていき、残り3カ月の段階で処方なし、経過を観察。そしていよいよ先月、復職のタイミングについて相談。就業可否証明書を書いてもらう運びとなりました。

体力作りと生活習慣を整えること

フルタイムで働くとなると1日8時間+通勤時間。1日の殆どを外で過ごすことになります。療養の間ずっとのんびり家ですごしていたので生活のリズムが大きく乖離しています。規則正しい時間に起きて活動の準備を行い、活動をして帰宅、リラックスする。

切り替えがうまくいくよう、これは多少訓練していかないとへばってしまう!

まずは朝同じ時間に起きること。朝の習慣をこなすこと。この訓練です。

精神疾患・心について知ること

自分がなぜ病んでしまったのか、なぜ他人の影響を受けすぎていたのか、どうして受け流せなかったのか?今後社会で活動するにあたって何かしらの要因で引き起こされる可能性があるのも事実。であれば、人の心というものを知る、心理や精神疾患に関することを学ぶことは大切だと感じました。

例え、病院で診断をうけて「うつ病」「双極性」「統合失調症」「自立神経失調症」

パニック障害」など明確になっている人はともかく、世の中には無自覚で社会で活動している人間も多くいます。病名がなくとも、そのような特性を持っている人もいることは確かで、それを知らないでいると巻き込まれてしまうこともあるし、対処できずに悩んでしまう、なんていうこともあるのです。根本解決の一つして、心についてしることは大切なのだと思いました。一般教養としてあっていい知識だと感じます。

他人と交流してみる

安全安心の家族、友人に囲まれぬくぬくと過ごしてきました。そろそろ、他人と交流してみてもいいかもしれない。

個人的な対人関係の目標として礼儀・マナーを守りながら過ごしたい。他人と気持ちの良い距離感というのは、お互いの深くドロドロした部分は見せあう必要はないのです(笑)

気持ちよく過ごせるってどんな状態かな?と考えると、今までは人間味がある癖のある人になんとなく惹かれている自分がいましたが、それはえてしてトラブルが多い人間とも言え、すべて馬鹿正直に見せる必要もないし、お世辞もお互いが気持ちよく過ごせるものならそれでいいのだと思います。大人の付き合い方ができれば十分なのだろう。

今年の目標

1月中はまず生活習慣を整え、2月から職安のお世話になります。少しずつ準備してきたので着実に回復してきました。お仕事探しが始まればまたそれなりの課題が出てくるとは思いますが焦らず歩みたい。

規則正しい生活

感情のコントロール

これを意識して頑張りたいと思います!

 

 

うつ病寛解期に向き合う ②不安の根源

 いつの間にか10月になっていました。雨の日が多く、残暑が厳しいかと予想していたものの、案外涼しく過ごせる日が多くいつのまにか秋。過ごしやすくなってきたおかげか薬を飲まなくても眠れる日が増え、お薬の処方がなくなりました^^

診療費もちょっとだけ安くなり嬉しい気持ちです。社会復帰を目標にしながら体のペースや自分のライフサイクルを整えはじめてくると、自分の心の状態にも目を向けられるようになってきた最近。ここ数週間は久しぶりに気分の落ち込む日でもありました。

久ぶりのフラッシュバック

更新のない間、比較的安定している期間が長く続いていました。しかし。

ここの所、格安SIMの契約をしたところうまくいかずトラブル続き。思いどおりにことが運ばず「ついてないなあ」とふと思ったら、ぶわっと嫌なことが思い出される(笑)

年明け早々骨折したなあ、あのBABAが憎たらしい、自分のふがいなさを責めたり、この先うまくいかないのではないだろうか、とか。

生理と低気圧のせいなのか余計にそんな感じでした。

・自責の念

・言われていやだったこと、されていやだったことの感覚

・過去の自分の行動が間違いだったのではないか、などの後悔

幸福について考えてしまった

自分が考えていた、思い描いていた幸せとはなんだったのか。ふとそんな疑問に陥ってしまう。「幸せってなんだろう。自分は幸せなのかな」と。そうこう考えあぐねていくうちに一つの答えにたどりついたのです。

そもそも、幸せかどうか、不幸せかどうかという考え方自体が違うのだ、と。

足りている足りていない 多い少ない 辛い辛くない 良い悪い

この極端な感覚に縛られていたから苦しくなっていたことにふと気が付いた。

今ある生活、今の状態に目を向けることがちょっとだけできたのだ。ああ、あの感覚を持っていたから辛かったのか、と。そして、本当に無自覚だったけれどこの比べる気持ちが強かったので私は他人に左右されやすい人間だったということも再確認した。

愚痴のレベル

youtu.be

 毎度おなじみの大好きなモモウメ。よっちゃんの愚痴がささやかなんだけどすごくかわいい。でも確かに「あんまり仲良くない人とのエレベータ辛い」「みけんのシワを笑われた」この些細なプチイラってあるあるって思ってつい笑ってしまう。

ああ、でもこのくらいの愚痴をこぼしてスッキリしていられるくらいのほうが元気だなって思えたのです。愚痴は確かに良くないし、愚痴をすごく言いすぎている人ってもはや病んでるレベル。自分の言動にもこれからは意識していきた。

自分の理想のイメージと現実の乖離があればあるほど辛い

 知らず知らずのうちに、人って「幸せ」のイメージが植え付けられている。例えば、広くてきれいな家で暮らしたい、お洒落な部屋でくつろぐ自分。カフェで時間をつぶす、〇〇にショッピングに行く、ネイルサロンで爪のお手入れ、豊かな人間関係に笑顔に満ち溢れた毎日・・・とかね(笑)

 実際はどうでしょう。やりたいことと実際できることがかけ離れていると正直それを維持するだけでもものすごくエネルギーを消費する。私はもともとめんどくさがり屋なのでなるべくなるべくシンプルなのが良いと年を取るほどに単純さを好む傾向になってきた。

 20代の頃は、毎日化粧をして(マスカラもつけて!)美容院にも定期的に行き、毎日身だしなみをばっちり整え、タイトなスーツを着てハイヒールでさっそうと歩き長時間立っていることですらなんてことなかった。それが楽しかったこともあるし、張り合いがあったのだ。

 今は…ムリムリ(笑)なるべく疲れない服装で、動きやすい恰好を好んでいる。化粧についてはもともと顔がうるさいので人と会うときはファンデーションとリップ、チーク程度。髪型は年々シンプルになっている。40歳近くなると価値観が変わってくるとはこのことだ。加えて、「幸せか不幸かなどの価値観すら不要だった」ということに気が付く次第です。

不安の根源は比較だった

どの本にも、どの人も、今の人も昔の人もみんなが言っている。

「人と比べてはいけない」と。仏教では慢といい、散々主人から説法をされていたけれど耳で聞いてこころで聞いていなかったのだろう。

人は自分の存在を確認するときに何かと比較をすると自分が認識しやすいのだと感じる。例えば、美容院で髪の毛をカットするときに自分の髪質が分からないと話したところ、美容師さんは「コロさんの髪の毛はご自分で考えてるほど太くないですし、量はやや多いくらい、癖はなく艶の良い髪質ですよ」と答えてくれた。自分では自分の髪が太いか細いか、多いか少ないかが分からないんです。美容師さんであれば日頃多くの人の髪に触れているので比較して判断し、適切なメニューの提案ができるだろう。

それくらい自分を自分で認識するには分からないことが多く、何かと比較して自分はどうなのかという認識をするのが手っ取り早いのだ。これを繰り返し過ぎると知らずに他人や何かと自分を比較してしまう癖が根深くついてしまうのだろう。

比較こそが自分の不安の根源になっているということに気が付いた。

体型、ライフスタイル、仕事、社会的地位、お金、恋人、家族、健康。

友人知人や雑誌・メディアの情報などを見て自分がそれを持っているか持っていないか、経験したことがあるかないか、あてはまるかあてはまらないか、様々な情報からいつの間にか自分を比較して安心してはいないだろうか。

血圧の平均値、体脂肪率、平均体重、平均年収、既婚・未婚、恋人がいるかいないか。

ないからどうってことはないのだ。

あるからどうってことでもない。

なんなら健康に関しては健康体なのに不健康な事例と比較して安心したり不安になっていたりする。こんな些細なことで不安を積み重ねることすらできてしまうのだ。

この癖は意識して気が付いて整えていきたいところだと考えた日だった。

 

うつ病寛解期に向き合う ①自分の悩みの根源

 こんにちはcorottyです。療養に入りいつの間に1年が経ちました。傷病手当のために病院を受診し、そのたびにフラッシュバックに苦しみましたがそれも次第に和らいできました。最近は、心の動きを観察するようになり、外出のとき、家事をしているとき、家族と団らんしているときなど、ふと俯瞰して自分を眺めることができるようになった気がします。

心の動きをさぐる

 なぜうつ病になってしまったのか、どうしてあそこまで自分を追い込むことになったのか、なぜ他人に支配されてしまっていたのか。きっかけは何だったのか。心理学専門の方の動画や本、精神疾患に関する本などを読んだりもした。

関連書籍① 精神科医が教えるストレスフリー超大全

精神科医が教える ストレスフリー超大全 ――

人生のあらゆる「悩み・不安・疲れ」をなくすためのリスト

樺沢 紫苑

出版社 ‏ : ダイヤモンド社 

 

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 もうすでに読まれた方もいらっしゃるかもしれません。私がこの本を手に取ったのはすでにうつ病どんぞこ底辺でしたので、正直その状態まで陥ったらあまり実行できる方法は少なかったのが痛いところです(笑)

 ただ、これを読んで「世の中のたくさんの人がこんなにストレスを抱えていてこのような方法でストレスを解消したりストレスを回避したり、うまく付き合う努力をしているのかぁ!」と驚きました。なので、働いているときに読んでおくべきでした(*゚O゚*)

 心が壊れて折れていたので言っていることは分かるがそれができないんだよう~(´;ω;`)

ですが、ある程度元気が回復し、次は失敗を繰り返さないように自分を変えていこう、と前向きになった今、もう一度読み返すと大変参考になることばかりです。

「受け流せない」から病んでしまったのですから、「受け流す方法」が分かれば考え方、視点を変えるヒントがたくさんつまっています。

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関連書籍② 心を壊さない生き方 超ストレス社会生き抜くメンタルの教科書

心を壊さない生き方 超ストレス社会を生き抜くメンタルの教科書

Testosterone(著/文)岡琢哉(著/文)

出版社:文響社

 

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マッチョさんと精神科医の対談形式でテンポよく読めます。うつ病で増えた体重を落とすべくダイエットを始めた私ですが、うつ病と肥満の関係であったり、体を動かすことの大切さ、ストレスと体型に関する統計データなど雑学も楽しめる1冊です。

特に一番印象的だったのが、「精神を知ることは現代の最低限の教養でもある」と表現しており、LGBTだとか多様性だとか差別をなくそうだとか、そういったどこか変に利用されたスローガンよりも、思いやりをもって互いに尊重するということは、精神のことを知ることが一番合理的で間違いない、とうなずいてしまった。

仏教でも「身心一如」という考え方があるが、まさにその通りだなと、ジャンルは違えど答え合わせがばっちりできる1冊。読み返しても軽快なテンポなのでプッと笑ってしまうことが多いです。(つまり、面白いってこと)

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焦り、衝動、怒り、悲しさ、嬉しい、欲求

自分の中にどの情動が多いのか。体の調子が良くなるにつれて自分の行動が元気になってくると特性に気が付いたりする。

ひらめきとフットワークの軽さは悪く言えば中途半端

たとえば家事をしている中で気づいたこと。

リハビリ当初は、一つ一つ丁寧にと思いコツコツとこなしてきた。手順を一つ一つ決めてこなしていく感じ。どちらにしろマルチタスクができなかったので仕方ないが、元気になるとよくも悪くも散漫になる。

焦り

「お米を精米している間に〇〇をしちゃおう」「あ、あれもやらなきゃ」「これもあったー!」という結果、米を研ぐのを忘れてしまう、とかね(笑)

本調子じゃないので細部まで気が回らないのと、もしかしたら「焦り」かもしれない。

以前は、その思い付きやひらめきがうまくこなせたときはとても楽しいと思えた。でも療養をしてゆっくりした時間をすごしてきたせいか、そんなに急いでいろいろやらなくてもいいよね~、とか、その先をどうするのか、という目線が身についてきて、良いと思える、メリットがありそうだからやってみよう、と行動を選ぶようになった。

動揺

 先日、友人と出かけた際、観光先の神社で例祭が行われており、中でお参りができるのかを尋ねたところ、お札の申し込みが必要だったようで中で参拝するには5,000円の奉納が必要とのことだった。持ち合わせはあったのだが、趣旨が異なってしまうようだったので今回は断念。ただ、この一瞬の動揺が結構続いていて、参拝に集中できず、いたたまれない、すぐに帰りたい気持ちになってしまった。

 大げさに考えると、〇〇したいという願望がとん挫したときの挫折感は些細でもこんな風に動揺を起こすのだなと感じられました。大なり小なり、その延長にある動揺、そのふり幅は小さければ小さいほどいい。

良い悪いではなくこんなふうに自分が反応するんだなあと感じたのだ。

不安を探る①

 不安を感じやすい性質があるのかもしれない。それはきっと無意識に…

自分のことをよく知っている人というのはどれくらいいるのだろうか。自分との付き合い方にうまく折り合いがつけられている素敵な人は、聞くと大抵挫折を味わっていたり過去にうつ病のような状態を経験している人が多い。うつ病ってもしかしたら長く生きていく上でぶち当たるものなのかもしれない。

私はとても臆病で怖がりだと友人から言われたことがある。最近、その通りだったなあと感じることがあった。前述の焦りなどもそう。最近は、やはり幼少期までたどって昔からどんなことを怖いと思うのか、恐れているのか、不安になるのかなどを考えてみた。

不安を探る② アルコール依存症だった父とPTSD

父は、私が小学校のころに亡くなった。職人気質な大工で建築が好きな人だったように記憶している。子供のころの記憶と、妻である母親から見た父の記憶は違うものかもしれない。昔の大工なので、なにかとお酒の席が多く、いまでこそ厳しくなったが昔は飲酒運転している人など田舎にいけば結構ざらにいるものだった。

夜遅くまで宴会をして酔って帰ってくる。フラフラになりながら、母は飲みすぎている父をたしなめていた。父が病になり入院した時、母は不安から新興宗教や漢方に救いを求めるようになっていた。母も母で不安を感じやすい性格だったのだろう。過干渉なところがあり、なんでも子供にしてやってしまうところがある。

お酒のことで病気になり、お酒のことで喧嘩をして・・・

 そう、私もお酒は好きだが健康被害や家族が不安に陥るという経験を無意識に感じていたせいか怖いという気持ちは強いのかもしれない。晩酌をする家庭だったのでお酒があることは当然の環境ではあった。母はそこまで飲む人でもないし、兄も酒に弱いのであまり飲まない。私は父に似てお酒が強いのか、若いころも飲む機会が多かった。

 友人も酒が好きなのだが、彼女に合わせて飲み続けると大抵2~3日再起不能になり、もう飲むのやめよう、と思う年になってしまった。最近は自粛自粛でノンアルコールのみの提供で、案外助かっている(笑)

 たまたま見つけた動画なのだが、アルコール依存症になった人がいる家族の話を見つけた。まさに「巻き込まれ方」の特徴が多く見て取れたのだ。

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また、アルコール依存症であるがゆえに、家庭が機能不全になる仕組みなども良く理解できた。そして、「アルコール依存症」の定義については別動画で配信されていて、私はアルコールへのPTSDが強く、不安が倍増してしまっていたことにも気が付いた。

飲みすぎていなくても「飲みすぎだ」と過敏に反応しているのだ。その悪循環もよく説明されていた。

父は不安やストレスをお酒で発散するところがあり、また、飲む量が多かった。結果的にそれがきっかけで短命となった。

不安を探る③ 母子家庭の寂しさ

 母子家庭となったのが小学校のころだった。私は感情の出し方がわからなかった。母は働きにでて帰ってきても家に誰もいなかった。英会話教室に通っていたことは記憶しているが、毎回毎回ドキドキして、楽しいと思ったことはあまりなかった気がする。今思えばふさぎ込んでいたのかもしれない。

 兄は年が離れているので、両親がいる状態である程度過ごしてきた。進路も明確で自分が進みたい道を目指していた。お兄ちゃんはすごいなーと思っていたが、私にはやりたいことがなにもなかった。しいて言えば、絵を描くことが好きで、たまに出した公募で賞をもらったりすることもあった。中学では美術部に入り、高校は自分のお金がほしくてアルバイトに時間を費やすようになった。どうも、このころから物欲が強く、お金を稼ぐことに一生懸命だった。勉強はそれなりに。進路は、デザイン専門学校にした。

絵を描く、デザインをする、ことへの集中力はなくなり、どうなりたいのか、どうしたいのか、地に足がつかずふわふわしていた。結果的には、小さなIT企業に就職に、WEB広告の仕事に就いた。やりがいはもちろん、そこそこ楽しんで過ごしていたと思う。

 ただ、いつも不安で「いつかいらないと言われるのではないか」「長くここにいられないのではないか」みたいな不安感はいつもあり、必要以上に頑張りすぎたり、お金の使い方が荒く、お金の使い方なんてこれっぽっちも考えていなかった。でもお金に執着していた。

 この原因が、最近は寂しさからだったのかもしれないと思えるようになった。

悩みの根源をさぐるのはボーダーラインを決めておく

自分に目を向けて深めていくことは大切なことなのだが、情報を探していると深堀しすぎて過去の自分から抜け出せなくなった、自分の分析から抜け出せなくなって地に足がつかなくなった人を見かける。

悩みの根源をさぐるいま、「ここまで探ったら元気出そう!」と決めて掘っている。結局なにが原因で対人関係で自分に問題を起こしているのか、その要因が分かれば観察ができる。いまはその手がかりが欲しくて探している。

ここまでこれたのも「うつ病を克服したい」と願っていたからだ。理由が分かったら案外、そんなのみんなおんなじだよ、そんな些細な程度のことになるような気がしている。恥ずかしいのは自分が恥ずかしがっているだけで周囲はそんなに気にしていないなど。恥ずかしさを乗り越えて経験となる。仮に自分を貶めるような人がいたとしても相手にする必要はない。

おやおや、これっていろんな自己啓発本に書かれていることでは?!そうかみんないっしょなのかー。と着地しそうな気がしているのだ。

でもそれを一つ一つ味わって、体感していけたら乗り越えられるのではないかな、と思う1年目でした。

 

あ、そろそろ再就職も考えて行動していけたらいいなって思っています(^_-)-☆

もうじき、「うつ病克服 再就職へ!」みたいなブログ題名になっていくのかな♪

その前にダイエット成功したいわ~

うつ病から寛解状態へのきざし ⑧気持ちの変化

 こんにちは、corottyです。八月終わりの大雨から気温がぐっと下がり肌寒いくらい。

エアコンをつける必要もなく、タオルケットよりも掛布団が恋しくなり箪笥から引っ張り出してきました。ぬくぬくして気持ちが良いです。関東はしばらく雨が続くようですが暑さはもどるのでしょうか。

 9月1日は一粒万倍日だったそう。いつのまにか日付も9月にかわり、パッと思い浮かんだことがありました。

気持ちの変化が訪れた(驚き)

 散々、うじうじぐじぐじぐじ考えて悩んで、されたことを思い出しフラッシュバックで悔しさと苦しさと辛さと憎たらしさに悶々としていましたが、先日の受診で先生に言われた通り「そのうちその気持ちも変化していきますよ」が案外早く訪れました。

組織崩壊していたのだ

 組織崩壊していた、組織崩壊している。頭ではわかっていたが、「なんで」「どうして」のほうに意識が向いてしまい頭ではわかってしても・・・なんというか「文字」として認識はしていても納得できていなかったのだと思います。

ぶっちゃけ組織崩壊していたんですよね。そう傾向は分かるほどでした。一見、良好に見えていたことでも違和感を感じる部分は多くあった。一番顕著であったのが「お友達組織崩壊」とでも名付けようか。

公私混同が強い「お友達」組織

人間関係において適度な距離を保つことができる人はどれくらいいるだろうか。

そもそもの大前提として、職場は「仕事をする場所」であって学校や幼稚園とは違いお友達を作る場所ではない。また、ママ友やサークル、PTAの集まりとも違う。

 その職場の労働条件の中で、職場の付き合いで友人に発展できる関係性というのはお互いに大人で自立心があることが大前提だと思っている。高校時代に友達とコンビニのアルバイトをしたことがあるが、友人と一緒に仕事をして、彼女が自己都合で出勤をドタキャンしたり、早退してしまったり、そこの組織の中にあるルールや秩序が破られていることを目の当たりにしたときにどう思ったか。私は友人であっても「困った人だ」「迷惑な人だ」と単純に感じた。そのアルバイトを紹介したのは私だったのだが自分の自分のメンツもつぶれたと感じることがあった。当時、高校生ながらも友人と同じ仕事で働くのは無理だなと悟った経験。漫画やドラマみたいに友達同士で同じ場所で働くというのは非現実的だなあと感じる。

職場の人間関係の距離感

 仕事の人間関係では互いに気持ちよく仕事ができるためには距離感が必要だ。楽しく仕事をすることとお私語・私情をからめて仕事をするのとでは違う。職場の仲間がもし友人として発展していくとすると、その仕事の目的が一致しており同じ目標を達成する仲間、そして個人的な付き合いで友人に発展していくのが理想だな、というのは何となく想像ができる。実際は、ただ愚痴を言いあったり、私生活の不満をお互いに吐き出して互いをゴミ箱扱いしていることのほうがほとんどじゃないかと思う。

 ※少なくとも、自分が見てきた女性間の人間関係はそんなのばかりだった。

職場での立ち位置を決めて仕事をしてきた自分であっても、極まれに私生活でも付き合えるような友人ができた。しかしながら、それは退職後しばらくたってからのことだった。

意気込みとやる気と空回りと不安と

うつ病を克服したい、と思ってから数か月。少しずつであるが進歩していることがある。私は本当に家事や自炊が苦手で、とにかく片づけのこと、ゴミの後始末のことを考えるといかにシンプルな調理方法でバランスが良く、効率的に調理・片づけ・保存ができるか、応用が利くかなどを考えてしまう。

最近では、嫌で嫌で仕方がなかった片づけなども一連の流れの一つだと思い処理することができるようになってきた。

 掃除洗濯、とにかく苦手です。掃除が大掛かりにならないように小まめに片づけるように工夫したりもしているが、家族がいると思い通りに行かないこともしばしば。

自分ひとりだけならシンプルな導線で思い通りにできるのになあ、とかいろいろ考えてしまう。こんなモヤモヤ考えてしまって行動できなくなってしまう、不安を考えてしまうなど、不安癖が抜けずに困ったものだ。

やるぞー!の気合も、入りすぎてしまうと予定がくるったときの困惑、パニック。まだまだだなあ、と落ち込んでしまう。

感情をごまかさない訓練

自分に芽生えるいやな気持に蓋をしてしまう。言いたいことが言えない。私が発言するときはいろいろ考えてものすごく勇気をだしてお願いしたり頼んだりしているのだが、相手にされなかったり思い通りにいかなかったりする。

頼ってほしいと言われても結局、そのようにうまく頼めなかったり、お願いができなかったときのモヤモヤ。

毎日のことがだから、大きいことを頼まなくてもこの小さなことを協力してくれるだけですごく気持ちが楽になるの、行動がスムーズになるのに、一日が気持ちよくなるのに。もう絶望感がすごい(笑)

こうゆうのもかみしめないといけないんだなってなるんですよね。しかし、これなら自分ひとりのほうがよっぽど楽なんじゃないかと思ってしまう。

家族でも他人でも、誰かと一緒に生活する、誰かと一緒の時間を過ごすというのはこの期待と絶望の間を乗り越えて折り合いをつけていくことなのかもしれません。

こんな訓練、働きながらなんて絶対無理だから、今のうちにイイ感じに克服していきたいですね。

 

うつ病から寛解状態へのきざし ⑦怒りの感情と向き合う

 こんにちは、Corottyです。ダイエット、体力作りに励んでいたのですが、生理前に体のだるさと疲れのためかまたちょっと身動きがとれず「ドボン」した状態に・・・

気力が湧いてこず、食欲も3日に1回湧くかどうか。毎日の夕飯を考えるのもおっくう。とにかくめんどくさい。そんな状況になっております。

月1回の精神科受診

 ちょうど仕事を休みはじめたのが1年前。当時は「死にたい」という感情と「自分でないだれか」が表にいるような感覚でかなり錯乱していました。心療内科のある病院に行き、最初の面談とカウンセリングで精神科の受診となりました。かれこれ1年。当初、自分ではない行動、発言、考え方、感情のコントロールが効かない、いわゆる狂ってしまったような状態だったのが懐かしい。自分が自分じゃないみたいで、違う人間がいるような感じなんです、というと医師は「あなたはあなたです」とキッパリ。

 当初のあの分裂したような感覚はほとんどなくそんなこともあったなあって感じです。そして、退職してから4か月がたちました。

「運が悪かった」「そこの環境が悪かった」と考えられるようになった

適応障害というものだと言われ、その環境から距離を置いても気持ちを離すことができずにいた。図書館なんて二度と行きたくない、だらしのない人間ばかりだ、働く女性にろくな人はいない、なんて悲観的に思い、またその気持ちを否定したり、納得ができずにもやもや。最近は特にフラッシュバックがひどくて行動ができなくなり寝込んでしまう始末。医師にその気持ちを話した。

「そのうち、その気持ちも変化してきますよ」

たまたまその職場が悪かっただけで、他は違うかもしれない、と思えるようになった。だけど、突然イライラしてしまったり怒りの感情が湧いてきたり、不安になったりしてしまう。「何が原因だと考えますか?」と聞かれた。

うーーーーん。。。

また同じことになるんじゃないか、とか、…「許せない、悔しい」っていう気持ちが強いんだと思います。

と伝えると、医師は「その気持ちもそのうち変わっていきますよ」と言ってくれたのだ。今回の受診は、その言葉がスーーーっと入ってきて、ああ、そうか。と素直に感じることができた。そうなってほしいですしね。

怒りの感情の処理

世間では「アンガーマネジメント」とか「怒ってはいけない」などをはじめ、「怒り」「キレる」などのネガティブな事件で「怒る」ということが悪とされている。もちろん怒ることが良くないイメージはみんな持っていると思うのだけど。

怒りというのが必ずしも、「大声を出す」「怒鳴る」「暴力をふるう」「暴言を吐く」だけではないと思うのだ。いわゆる「もやっとする」「ピリつく」「ムカつく」「いやだと思う(拒否)」ことも怒りなのではないかと。こんなにも身近に怒りの感情があるのだとそれをごまかすのも限界があるし、見て見ぬふりをする、知らないふりをする、気づかないふりをする。「いやな感情を抱くのは悪い人間だ」と自分で自分を制御して苦しめる。

カズ姐さんのこの動画がとてもしっくりきてなるほどなあ!と思ったのです。

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怒りと向き合えるようになってから復帰したい

「不機嫌な顔を見せるな」「不機嫌な態度をとるな」「人の気持ちを考えろ」

 もちろんそうなのですけれど、それができない今はそれが出てしまう。もちろんこの状態で社会に出たら他人に危害を与える可能性もあるし、間違いなく「不快な人間関係」をつくるに違いない。この状態では社会復帰は難しいだろう。

SNSモラハラパワハラの話を聞くとみんな怒りの処理できてない

 SNSの情報をみていると、被害を被っている人の話を聞いているとどう考えてもハラスメントをする側の問題が強くみえる。正確に言うと被害を受けている人と噛み合ってしまってる、という点も問題なのだけど、社会生活にでていてなんで自分の感情をコントロールできず、秩序を乱す人がこんなにも多く会社にいるのだろうと驚愕している。

 組織の中の問題の種であるにも関わらず、振り回され被害を受けたほうが組織から出ていかなければならない。「会社にってみんな仕事をしないでなにしてるんだろう?」と思ってしまった。

怒りの感情は無視をせず、ふたをせず、向き合うこと

怒ってはいけない キレてはいけない

だけど怒りの感情は無視をしてはいけない。

 実は、先日の受診で「悔しい、許せない」という気持ちがある、ということを人に話したのはこの頃が初めてだったかもしれない。罵詈雑言、不平不満は言葉を変えて果てることなく出てくる。出来事を交えてフラッシュバックのように一つ一つ鮮明に。

それが何なのか。「悔しい」「許せない」なのだった。

じゃあ、その許せない気持ちは、相手を刺し殺したいほどなのか。建物を爆破させたいくらいなのか。そこの人間が全員死ねばいいのか。

冷静に考えたらそこまでするリスクはどうだろうか、というと「そこまでするほどの恨みではない」と思える。でも嫌だわ。嫌いだわ。好きじゃない。合わない。

そんな感じだ。

そこは、スラムだったんだよ~

友人とかわすLINEで、「そこはcorottyちゃんには合わない場所だったんだよ。例えていうなら無法地帯のスラムみたいなところ!国も文化も習慣も全く違うようなところだったんだよ」と言われ、怒りにかられたときはそう思える余裕もなかったのに案外そんな言葉がスーッと入ってきた。

自分にとって「スラム」って言葉がぴったりくる。なんだか善意も配慮も、相手を思ってしたこともすべて吸い取られむしり取られ、挙句に足元をけって転ばされ、批判され文句ばかりを言われる。本当にゴミ箱にされてたのだと。

こんなひどい扱いをされ、それを甘んじて受けてそうさせてしまった自分。いろいろ反省する点が自分の中に見えてくる。

行動のモチベーションに恐怖を除いていく

必要以上に「嫌われたくない」「好かれたい」のようなものはなくして人間関係を築く。人と争う必要はないけれど無理に付き合う必要はない。無理に仲良くしようとしなくていい。

今後必要なのは、社交関係の中でのマナーや礼儀なのかなと考えました。

相手に好かれるかどうか、ではなく、不快な関係を作らいないようにすること。

大人になってから友人をつくることは難しいが、社交関係をよくしていくことはできるかもしれない。そんな目標ができました。

 

 

指定管理者がいいのか直営がいいのか②

<前回>

指定管理がいいのか直営がいいのか① - CorottyBlog

 こんにちは、Corottyです。前回、指定管理者がいいのか直営がいいのか、ということで更新ました。

司書の仕事はぶっちゃけすごく楽しい

 図書館の仕事って、ぶっちゃけ・・・・すごく楽しいです。毎週雑誌や新刊の本が届き、版が変わったら入れ替えて、大切に装備を行い。整理整頓された棚から予約の資料を抜き出す。この整理整頓業務がすごく気持ちが良い。最近の興味関心が予約状況でわかったり、利用者の人とのささやかな関りが嬉しく楽しい。ときどきあるハードクレームに落ち込んだり、それを励ましあったり。

 ときどき感謝されることがあると、ぱぁ~っと明るい気持ちになることもあります。給料が安くても楽しいのはそういったやりがいとか、自分に起こる変化だったり、司書同士の刺激・影響の与えあいだったりするものです。

指定管理者にガッカリしてしまった出来事

 ズバリ。人材育成です。

 正直なところ、窓口業務はパソコン操作、接遇のマナーができれば誰にでもできる仕事です。貸出返却処理、新規登録作業、予約処理、配本。相手の要望をくみ取ったり、相手の話に耳を傾けることができれば良いのです。

 それ以外にも、本の整理・蔵書構成のチェック、館内掲示物のチェック、館内の安全確認、本の装備、予約資料の準備、企画展示、おはなし会・イベントなどの事業。正直なところ楽しさ目白押しです。

 普通の一般的な職業とちがい、売上のような金銭のやりとり、目標みたいなものがありませんから、お金を扱う緊張感はありませんがこちらはこちらで「個人情報」の取り扱いには大変気を遣うものです。これは図書館だけじゃなく、様々な企業でも現代では窓口業務を行う人であれば、会社としても関わる人でも慎重に取り扱う部分ではないでしょうか。一般通念、アルバイトや社会人経験があり真面目に仕事をしてきた人であれば当たり前にできることだと思います。

 また、窓口業務という特性上、業務中の私語を慎むことや勤務態度なども、飲食店だろうが金融窓口だろうが、コンビニだろうが、会社だろうが一般的な通念があればまったく問題ないでしょう。

パートタイマー、アルバイト感覚のレベルが最低だった

 これは、本当に場所によると思うのですが私の配属されたところが本当に運が悪かったのだと思います。仕事に対する意識が低いなと思っていたのですが様子をみればみるほど低い。郷に合えば郷に従え。そこになじむためには合わせることも必要だと思いました。ですが、それがどうしても出来かねる環境。

 例えば、業務中にお菓子をボリボリ食べている。業務時間中にお昼に飲むコーヒーやお茶の準備を始める。忙しい時間帯に応援に行かない。トラブルがあった時に自分の目で確認しない、苦情の内容を汲み取らず初期対応を間違えていることがよくある、などなど。残業もやたら多く、勤務時間の終わりになって新しい仕事を始める。人員がいても教えないから引き継げない、業務を覚えられない、不満が増えるの悪循環。

 そして、根本の窓口業務も、なぜか人がカウンターからすぐ離れてしまうので無人になる。ちょっと意味がわからなかった。

 私はこう思ったのです。ここは組織崩壊しかけている。そして人材がかなり未熟なのかもしれないと。勤続年数ばかり長いけれどできる仕事が少ない、そんな状況だった。そしてその状況を責任者がおかしいとおもっていないことだった。

 本の修理、装備の作業を教えられていない、棚の整理の仕方がわからない、といったなんだか本当の素人集団だったのです。極めつけは障がいのある方への対応の仕方がひどいもので、配属当初、気を付けて対応してくださいと言われた方だったのですが、これは相手に落ち度があるのではなくこちらの初期対応の問題だったこと。私が上司に「なぜ要望の伺うことができないのか」と問い直したときにやっと気が付いたようだった。その方はしばらく図書館の利用をやめてしまったが、ある日電話をくださったときに「こんにちは」とお声がけしとkときに向こうも心を開いてくれた感触があった。

 とにかく勤務態度の悪さに驚いてしまい、その後孤軍奮闘する羽目となった。また、「女性の職場」になりやすいこともあり、秩序がないと悪口・愚痴がとまらず、風紀がかなり悪くなる。なんだかもうなしくずしに内部調整がただひたすら大変であった。

インターネットの口コミ評価で大体わかる

 ネットの書き込みを見れば運営がうまくいっているのかがうかがえる。大抵のクレームというのは「わかりずらさ」「不便さ」「施設の故障」「態度の悪さ」のどれかだ。良い評価がなくとも、普通に利用する側の人間の行動・目的がスムーズにこなせれば満足できる。普通であることが一番なのだ。それであっても突出してなにか口コミに書かれるのはそこにかかれいているよりも現場では大きな問題だと思ったほうがいい。

・職員の私語がうるさい。こちらまで聞こえてくる。

・職員の態度悪が悪かった

・借りたい本がスムーズに借りられなかった

この内容が複数書かれているところは秩序やルールがなく、なかはおそらくめちゃくちゃだろう。

民間の強みだと思っていた

 民間企業が指定管理者になることで、接遇がよくなったり対応がよくなり、サービスの幅も広がるのだろうと思っていた。だが、逆に指定管理者となっても正社員ではなく、結局は派遣社員で構成されている。派遣社員とはいっても、アルバイト感覚の抜けない人間もいるわけで。

 社内研修・社内教育ができていれば一定レベルを保てるだろうがその育成ができていないと素人が会社を経営しているような状況に陥ってしまうのだ。館の長となる人間は器としては経営者、一般企業の役職を経験したようなスキルがなければまとめていくのは難しいだろう。それは、自治体との関わり方や関係づくりなども含めてのスキルとなってくる。だれでもできるか?といったら・・・どう思われるだろうか。

 これはなかなか無理のある仕事だ、と考え直すにいたったのです。私がメンタル崩壊して病院に行ったとき、先生のカウンセリングを受けながら言われたのが「パートやアルバイトなのにそんなに責任が重いの?」だ。この一言で、役職があったとしても所詮は派遣という名のパートタイマー、バイトリーダーなのだと目が覚めたのだ。

「公共施設」であるなら正規職員がいるべきだと思う

 地域の問題解決をする図書館づくり、などのスローガンがあるが地域の問題解決は?地域の困りごと、生活の困りごとの解決の糸口としてやはり住民にとっては役所が窓口なのではなかろうか。本を読めば解決できること、というのは案外多くない。今日の献立とか日常生活に役立つ実用書、家にパソコンがないから図書館のパソコンで調べてみようかな、とか。ほぼ娯楽の要素が強いのではないだろうか。

 問題の解決に導くのなら、そこへつなげられる橋渡しができることをしたほうがよほどいい。定期ごとに所属移動があるような公務員歴の長い正規職員の方がいたらアドバイスできる内容も全然ちがうのではないか、公務員試験を受けるにあたって学んできたこと、自治体で行われている公務員の研修、クレーム対応、情報共有など守備範囲が広いのではないかなと思うのだ。

 そして、公務員ではない指定管理者で採用されるのは、素人も多く司書資格がなくても働けてしまう。だけれども職場は公共図書館。公務員ではないけれど働けてしまうのだ。この仕事における教育を受けていない人間が増えてしまい、あまつさえ準公務員のようなつもりで働いてしまうことがキケンな感じがしてならない。

 

 

指定管理がいいのか直営がいいのか①

 ご無沙汰しておりますcorottyです。だんだん更新頻度が「ご無沙汰です」になってきている気がします(笑)

 うつ病まっただなかの時は考えが止まらず、文章にしながら気持ちの整理をしていた部分も大きいのですが、ノートPCを開かないとすっかり遠のいてしまいます。ASUSを使っているのですが、キーボードと相性が悪いのかあまり好きになれずにおります。。。買い替えたい。

 

図書館は自治体直営がいいのか、一部(範囲はいろいろあるが)委託・PFI・指定管理者がよいのか

 今のマンションに越してきて3年。いまさらながら図書館でやっと利用登録を行ってきました。私が初めて図書館で働いたのは指定管理者でした。その配属された図書館の運営は指定された管理者に委託されています。

 施設管理、人員確保、事業、選書、蔵書管理。中央図書館の管理のもと、運営を民間の会社が担っています。初めて配属されたところは東京都内で、継続年数もそこそこ長く、指定管理者としてこなれてきていますし自治体との関係も比較的良好で大変働きやすく勉強になることが多かったです。業務フローも、組織構成もできておりこの職場がきっかけてこれからも図書館で働きたいなと思えたほどです。

 また、自治体の職員さんも司書としての経験がながく、司書の仕事を専門として続けられているという印象でしたので、厳しくとも納得のいく見解・考え方の方向性をお持ちだったといことも関係していると感じています。

そもそもの図書館の利用率について

 先ほど、初めていま居住している自治体の図書館で利用登録をしてきたと書きました。利用者目線で考えてみたところ、個人的には公共図書館は「自治体直営が強い」と感じました。業務の一部を民間に委託する、というのは様々な施設で見受けられます。役所・銀行・学校・病院・郵便局・コールセンター・営業などなど。派遣という働き方が一般的になってきた現代では当たり前の光景となりました。

 ですが、司書になるための勉強をすると図書館の意味・意義から考えていくと指定管理者がかならずしも良いものだ、とは考えにくい環境も見える部分があります。

散々、「指定管理者はダメだ」というクレームを受けてきても「指定管理者だから今のサービスを提供できるのだ」と強気で言えた自分も過去にいましたが、もっと深く掘り下げたらそんな単純な話ではないのです。

 考えがこのように変わったのは実はこの新型ウィルスの蔓延がきっかけでもあります。公共図書館の性質上、売り上げや利益などでそのサービスの評価が難しいという問題があります。一般企業のように商品やサービスを提供し金銭を得る、というものではないからです。民間に委託したところで、その仕事に対してどう評価を行うのか。

 無償で提供しているサービスである性質があるうえ、簡単に言えば「役に立っているのか」の指標が分かりずらい。思い浮かべていただきたい。実際のところ、公共図書館の利用率というのは実は割合としてはさほど多くはないのだ。例えば、皆さんが住んでいる居住区の図書館。よく利用してますよ~、という人、まったく利用していない人。かなりはっきり分かれていると思う。「勉強しによくいきました」「昔から図書館大好きです」っていう人の方が少ないのです。学校の図書室ですら、本を借りたことがあるのは授業のときだけ、なんてことないですか?授業で必要だから、勉強をしたいから行く。では所蔵されている資料で勉強に活かしているか、というと勉強しにきている学生さんはほとんど持ち込み資料で勉強しているので「勉強できる場所」程度にしか考えていないでしょう。図書館は活用されているようで活用できている人は少ないというのが実感です。

 それは距離や時間の問題もある。住んでいる地域に図書館がある、ということを知っていても実際に利用するか、利用できるかという点。中学・高校時代のときに図書館が市内にあり自転車でいける距離だとわかっていても、やはり利用しにくかった。学校の図書室は利用していたけれど公共図書館まで足を運びにくかった。

利用してなんぼ、利用者を集めて盛り上げる図書館

 魅力的なイベントなどの開催で集客を目的に盛り上げを見せてきた図書館業界だったが、この新型ウィルスの出来事から本来の図書館の存在意義が全国各地で問われてきた。未知のウィルスが猛威を振るい始めた頃、図書館は閉館、サービスを一時停止していた。こんな時こそ本を借りたい、図書館を利用してみたいと思った人も多いのではないか。

 実際の現場は、世の中の状況、企業としての姿勢、自治体の方針などを慎重に見極めていた。貸出ができない、図書館が閉館している。サービスを停止している状態で図書館の存在はどういったものなのか、運営側も考えさせられたのではないだろうか。

 これは個人的な愚痴だけれど、スタッフから「テレワークにならないのか」と言われたときに、なにをどうテレワークするのよ、とイラつきと笑いがこみあげたものだ。テレワークをしたければそういった業種を選びなさいと。本というものを媒介して成り立つサービスなのだから。わかりますよね?本の貸出ができなければまったく意味がないのだ。窓口に人を置いている以上、私たちの業務は「接客」「接遇」によるサービスなのである。

図書館設置数よりも貸出できる場所の多さ

 司書講習の中で特に取り上げられた第二次世界大戦終戦当時の風潮。

「ポストの数と同じくらいの図書館を」

識字率の低かった当時、・・・・・・コロナ禍で似ていると思った。読書ブームを巻き起こしている現代、当時ととても似た状況だと思う。当時でいうポスト。近所には500M以内にポストがありませんか?当時は子どものためにそのくらいの図書館の数が必要だという声が上がっていました。

 現代のコロナ禍では、評価基準であった集客効果も否定され、本来の図書館の目的は「本を利用者にとどける」ということである。つまり流通だ。多くの人の手に本がわたることを考えれば今でいえば「コンビニの数ほど図書館を」なのだ。だが、箱ものが必要ではない。

 図書館の問題点は図書館に行かなければ「本を借りること」「本を返すこと」ができないから図書館は人が集まるのだ。現代ではそれがクラスターの原因になるから良しとされない風潮になった。

現代では、図書館との関わりのある場所を増やすこと

 コンビニ経営をされている業者の皆さん、図書館の運営に参加してみてはいかがでしょうか。指定管理者として行政予算をとっていくよりも、貸出・返却サービスを自治体図書館と連携して貸出場所の提供をしていくことを検討していくことは双方・住民にとってWin&Winだと思うのです。(もちろん、サービス内容と予算をきちんと打診するべきですよ)

 箱モノの図書館運営を安く民間に託すよりも、直営で運営しながらサービス提供の場を増やすことが自治体としても住民への還元ができますし、場所の提供ができるというビジネスチャンスを民間企業が持てるのならそれこそ本当に経済が回ると思いませんか?

私は指定管理者がよいと思わなくなった

 少し前の時代であれば指定管理者を賞賛していた。しかし、時代の価値観の変貌の本来の図書館の存在意義を考えると、本来やるべき義務も明確に分かる。それを時間を延長する、開館時間を増やす、イベントで集客をする。なんだか正月も営業を始めた某百貨店やスーパーがやったことと似ている。結果的にどうなったかといえば、それが当たり前になったときには皆が疲弊してしまう。

 有資格者であっても賃金は最低時給。だが、「司書になりたい」「図書館で働きたい」と思う人は多くいる。司書になりたい、という意欲・好意を利用し奪うのはブラック企業だ。それだけは覚えておいていだきたい。

  コンビニで受け取れる、ということは例えば居住区の自治体に図書館が6館ったとして、受取・返却ができる場所が8か所あったとする。図書館という箱がなくても媒介できる場所が多ければ図書館を利用しやすくなるのだ。歩いて行ける場所に図書館という場所がなくても、図書館を利用する窓口があることは素晴らしいことです。

 なぜ図書館はいつも忙しく疲弊しているのか、それは「図書館に行かなければ本を借りたり返却できないから」なのです。だから時間を長く開館したり日数を増やす。しかし窓口が多ければ、指定管理者制度に頼らなくてもサービス拡大は可能なのだ。

 ただ、PFIという形態については期待している気持ちもわずかながらにある。20年の建築・運営をするというのも面白いし、良い企業が参加した場合かなりユニークな図書館が生まれるのでは?と思える。が、目に見えていろいろ問題あるよなー、デメリットもあるなーというので正直なところ関わりたくないなと着地。雑な仕組みに思えてならない。