CorottyBlog

フレンチブルドッグとの生活や、日々思うこと、感じたことなどを更新します。

うつ病寛解期に向き合う ②不安の根源

 いつの間にか10月になっていました。雨の日が多く、残暑が厳しいかと予想していたものの、案外涼しく過ごせる日が多くいつのまにか秋。過ごしやすくなってきたおかげか薬を飲まなくても眠れる日が増え、お薬の処方がなくなりました^^

診療費もちょっとだけ安くなり嬉しい気持ちです。社会復帰を目標にしながら体のペースや自分のライフサイクルを整えはじめてくると、自分の心の状態にも目を向けられるようになってきた最近。ここ数週間は久しぶりに気分の落ち込む日でもありました。

久ぶりのフラッシュバック

更新のない間、比較的安定している期間が長く続いていました。しかし。

ここの所、格安SIMの契約をしたところうまくいかずトラブル続き。思いどおりにことが運ばず「ついてないなあ」とふと思ったら、ぶわっと嫌なことが思い出される(笑)

年明け早々骨折したなあ、あのBABAが憎たらしい、自分のふがいなさを責めたり、この先うまくいかないのではないだろうか、とか。

生理と低気圧のせいなのか余計にそんな感じでした。

・自責の念

・言われていやだったこと、されていやだったことの感覚

・過去の自分の行動が間違いだったのではないか、などの後悔

幸福について考えてしまった

自分が考えていた、思い描いていた幸せとはなんだったのか。ふとそんな疑問に陥ってしまう。「幸せってなんだろう。自分は幸せなのかな」と。そうこう考えあぐねていくうちに一つの答えにたどりついたのです。

そもそも、幸せかどうか、不幸せかどうかという考え方自体が違うのだ、と。

足りている足りていない 多い少ない 辛い辛くない 良い悪い

この極端な感覚に縛られていたから苦しくなっていたことにふと気が付いた。

今ある生活、今の状態に目を向けることがちょっとだけできたのだ。ああ、あの感覚を持っていたから辛かったのか、と。そして、本当に無自覚だったけれどこの比べる気持ちが強かったので私は他人に左右されやすい人間だったということも再確認した。

愚痴のレベル

youtu.be

 毎度おなじみの大好きなモモウメ。よっちゃんの愚痴がささやかなんだけどすごくかわいい。でも確かに「あんまり仲良くない人とのエレベータ辛い」「みけんのシワを笑われた」この些細なプチイラってあるあるって思ってつい笑ってしまう。

ああ、でもこのくらいの愚痴をこぼしてスッキリしていられるくらいのほうが元気だなって思えたのです。愚痴は確かに良くないし、愚痴をすごく言いすぎている人ってもはや病んでるレベル。自分の言動にもこれからは意識していきた。

自分の理想のイメージと現実の乖離があればあるほど辛い

 知らず知らずのうちに、人って「幸せ」のイメージが植え付けられている。例えば、広くてきれいな家で暮らしたい、お洒落な部屋でくつろぐ自分。カフェで時間をつぶす、〇〇にショッピングに行く、ネイルサロンで爪のお手入れ、豊かな人間関係に笑顔に満ち溢れた毎日・・・とかね(笑)

 実際はどうでしょう。やりたいことと実際できることがかけ離れていると正直それを維持するだけでもものすごくエネルギーを消費する。私はもともとめんどくさがり屋なのでなるべくなるべくシンプルなのが良いと年を取るほどに単純さを好む傾向になってきた。

 20代の頃は、毎日化粧をして(マスカラもつけて!)美容院にも定期的に行き、毎日身だしなみをばっちり整え、タイトなスーツを着てハイヒールでさっそうと歩き長時間立っていることですらなんてことなかった。それが楽しかったこともあるし、張り合いがあったのだ。

 今は…ムリムリ(笑)なるべく疲れない服装で、動きやすい恰好を好んでいる。化粧についてはもともと顔がうるさいので人と会うときはファンデーションとリップ、チーク程度。髪型は年々シンプルになっている。40歳近くなると価値観が変わってくるとはこのことだ。加えて、「幸せか不幸かなどの価値観すら不要だった」ということに気が付く次第です。

不安の根源は比較だった

どの本にも、どの人も、今の人も昔の人もみんなが言っている。

「人と比べてはいけない」と。仏教では慢といい、散々主人から説法をされていたけれど耳で聞いてこころで聞いていなかったのだろう。

人は自分の存在を確認するときに何かと比較をすると自分が認識しやすいのだと感じる。例えば、美容院で髪の毛をカットするときに自分の髪質が分からないと話したところ、美容師さんは「コロさんの髪の毛はご自分で考えてるほど太くないですし、量はやや多いくらい、癖はなく艶の良い髪質ですよ」と答えてくれた。自分では自分の髪が太いか細いか、多いか少ないかが分からないんです。美容師さんであれば日頃多くの人の髪に触れているので比較して判断し、適切なメニューの提案ができるだろう。

それくらい自分を自分で認識するには分からないことが多く、何かと比較して自分はどうなのかという認識をするのが手っ取り早いのだ。これを繰り返し過ぎると知らずに他人や何かと自分を比較してしまう癖が根深くついてしまうのだろう。

比較こそが自分の不安の根源になっているということに気が付いた。

体型、ライフスタイル、仕事、社会的地位、お金、恋人、家族、健康。

友人知人や雑誌・メディアの情報などを見て自分がそれを持っているか持っていないか、経験したことがあるかないか、あてはまるかあてはまらないか、様々な情報からいつの間にか自分を比較して安心してはいないだろうか。

血圧の平均値、体脂肪率、平均体重、平均年収、既婚・未婚、恋人がいるかいないか。

ないからどうってことはないのだ。

あるからどうってことでもない。

なんなら健康に関しては健康体なのに不健康な事例と比較して安心したり不安になっていたりする。こんな些細なことで不安を積み重ねることすらできてしまうのだ。

この癖は意識して気が付いて整えていきたいところだと考えた日だった。