呑龍上人 浄土宗呑龍院
2021年6月8日。深谷市にある呑竜院に立ち寄り赤い旗とお供物をいただいた。縁日だったそうでお堂が開いており、赤い旗が立てられ仕事で通る道なのだが今日は惹かれるものがあり立ち寄った。
呑
龍
上
人
という赤い旗の文字が老眼ですぐに認識できず、無類の天部の神仏好きの主人が「お、なんかやってるぞ、雰囲気があるからちょっと寄ってみるか」と車を戻し立ち寄ることとなる。
毎月8日がご縁日
通りに面した真っ赤に塗られた呑龍院鐘楼が目を引き、赤い旗が風になびき祈祷寺のような雰囲気を醸し出していた。お堂の扉は開かれ、お!なんかやってるぞ、ちょっと寄ってみるかと、いつも通る道なのだがこの度立ち寄ることになった。
自治会館前に車を止めていいのかわからなかったがお堂も開いており、だめもとで聞いてみようととりあえず駐車。境内に入ればなにやらいかつい雰囲気でカッコイイ。世話人の方なのか堂守さんなのか、歓迎ムードだったのでお賽銭を入れてお参りをした。
「お参りご苦労様です。お供物とこちらの旗をどうぞ」といただいた。「子育呑龍上人」と書かれている。「8日が縁日でお堂を空けてお参りの方にお渡ししてるんです」と親切に教えてくださった。「呑龍上人です。ご存じですか?太田の大光院の子育上人です!え?深谷の方じゃないんですか。そうですか~深谷と言えばあと、渋沢栄一さんなんかが有名でしてね」と。「呑龍さんは子育て子育呑龍とも言われてまして、子宝、子育てのご利益なんですよ」だそうだ。浄土宗のお寺で、境内には地蔵菩薩と南無阿弥陀仏の石碑が設置されていた。呑龍上人についてすぐに調べてみたら浄土宗の高僧なのだとか。有名な逸話がいくつか残されていた。
「浄土宗なら、南無阿弥陀仏でお参りさせていただこう」
堂守さんが鐘を合わせてくれお参りを終え、また仕事に戻りました。道中、呑龍上人のことがえらく気になってしまい、ネットで検索をして郷土資料やらを探していた。
埼玉県深谷市「呑龍院」歴史口伝書
その昔、貧しい農村地域では子供が生まれてると口減らしのため間引きをするのが当たり前だったそうだ。それを不憫に感じた呑龍上人は子供を引き取り育てたのだそう。呑龍上人にまつわる郷土資料の中でも「埼玉県深谷市「呑龍院」歴史口伝書」が非常に面白く、近代までの呑龍上人にまつわる逸話が残されている。
実は、頂いたお供物をさっそくいただき、この甘さとともに何とも言えない感慨深さと言いようのない気持ちがこみあげてきた。悲しいのか嬉しいのか、なんというのだろうか。とにかく泣きたい気持ちと交錯した複雑な気分。
孤独でおびえ切った状態で優しくされたときの痛くて苦しい、嬉しくて悲しい気分というのだろうか。優しくされて泣いてしまうことありません?それのような感覚。しかも、表情がおかしなことになってしまった。眉毛が変な形になっていてこんな表情筋つかったことないよというくしゃくしゃの変な顔になっていた。とりあえず落ち着いたらお家でお経をあげようと主人と話した。
呑龍さんの残したもの
私は浄土宗の教えについては詳しくないのですが、誇り高い浄土宗の方からしたら解釈が間違っていると言われても大変申し訳ない。いわゆる「他力本願」のイメージがあるのです。ですが、呑龍上人について感じたことは、豪傑。大胆で豪快、快活で聡明。そんな印象を受けた。子供を間引きする(命を奪う)ことは非道だ、と単純明快な思考の持ち主、そして呑龍さんの名前からするとものすごい酒豪なのではないかと思ったのだ。私は豪快で聡明で行動力のある僧侶や行者がとても好ましく感じるので好奇心を持った。
お供物で頂いた小さな落雁が甘くておいしい。なぜか小さなこどもの手のひらに丁度いい大きさになる甘い甘い落雁が宝物のように思えたのだ。
主人と一日の仕事を終え帰宅し、祭壇でお経を上げさせていただきました。
これはあくまでも、私個人が感じたものであり、事実や歴史書に残されているものではないのです。私個人の解釈です。
呑龍上人は生きるきっかけを与えた
間引きの風習が当たり前の時代、口減らしのために殺される子供がいても何も思わなかった風潮。それに単純に不条理を感じた呑龍上人は子供を引き取り、7才まで弟子という名目で引き取って育てたそうだ。その所以から、「子育て呑龍」と親しまれている。この話を聞き、かくありたい姿だと感銘を受けた主人。己の立場できる最大限を行動に移していると時代年月を超えて伝わってくる人情だ。
下さい頂戴じゃないのですよ
色々な寺院にさりげなくお祀りされている「地蔵菩薩」を皆さんはご存じでしょうか。実はお地蔵様はにこやかでほのぼのするイメージで描かれる反面、けっこうゴリゴリの修行僧でスパルタのような菩薩様だ。とにかく「延命地蔵菩薩経」で説かれていることは他力本願とは程遠いい修行の物語だ。
己の神通力により業報を果報へと展示させ、無間の罪を取り除く。輪廻で迷い、一人でも成仏へと導けずに残すなら、その間自分は成仏をしない、と宣言する。
とWikipediaでは解説されているが、実際読んでみるとまさにその通りなのです。なんでもかんでもしてくれる、傘地蔵のように勝手にご利益を運んでくれるなどではないのです。とにかく努力・修行を重ね、決意をもって行動しなさい。そうすればご利益がありますよ、という超超現実派の菩薩なのです。
他力本願でどうでもなる~ の陰には周りの人の苦労や力が必ずあります。自分で成し遂げたことがない人はしてもらうことが当たり前でわからなくなっているかもしれません。それを知らずにラッキー♪ついてる♪神様ありがとう♪はちょいちょいまて、と。そりゃあないんじゃないの?と感じたことがある人もいるのではないでしょうか。
下さい頂戴ではない。
呑龍上人とう方は伝承で素晴らしい功績がたくさん伝えられていますが、おそらく人の心に寄り添い、困りごとがあれば体をはって助け、身を粉ににしてできることを最善尽くしてきた方だと思うのです。その結果、周囲の人たちから尊敬され、手助けなども受けながら生きておられたのではないでしょうか。
境内にまつられている地蔵菩薩と阿弥陀様の組み合わせを考えますと、 呑龍上人からしたら「私は生きるきっかけを与えただけだ」とおっしゃっているように感じました。(阿弥陀さま)
「与えられた命、その後自分がどうしたいのか、自分で考え選び生きなさい」と(地蔵菩薩)。自立を促したのではないかと考えます。7才という年齢。長いか短いかわかりません。決して、この子を良家に嫁がせるまで面倒をみる、成人まで面倒をみる、そんな過保護な話ではないのです。
救われたからといって、常にいつも誰かが救い助け、思い通りになるわけではない。自分の意思・決意・行動が大事でありそれをどう生かすかなのだ、と。
呑龍上人の生きざまから私が感じた浄土宗の教えというのは、他力本願、神様が助けてくれる、浄土は幸せだ、なんていう物語の終わりのハッピーエンドの話ではなく、きっかけは与えられた。あとは自分の力で自立しなさい、なのだと感じた。
カッコイイよ呑龍さん
もらった小さな落雁の甘さと思い出、この落雁を別の人に与えられる人間になりたいと思うのか、それとも与えられて当然のものだと、落雁を求め続ける人間になるのか。その問いをかけられたような気分でした。
こんな気概のある豪傑僧侶を思い浮かばせながらお経を終え、主人に報告をした。
また8日の縁日に行ったときにはお堂に上がらせてもらいお参りさせていただこうと
心に決めたのでした。
変な文章でごめんなさい。気が向いたときにちょこちょこ修正させていただきます(^^)読んでいただきありがとうございました。